ヌードの究極の美! エーゲ海に捧ぐ

池田満寿夫は日本を代表する画家であり、版画家でもあり、1977年に芥川賞を受賞しています。その前年に武蔵野美大中退の村上龍さんが感覚的な文体で同賞を受賞しており、美的センスを文章に取り込むという従来なかった文章表現が注目されました。作品の評価は二分しており、遠藤周作らが強く押した反面、永井龍男は真っ向から反対し、本作の受賞に抗議して芥川賞の選考委員を辞任しています。

村上龍の作品の芥川賞受賞が社会的反響を生んだのと同じように、本作の受賞も、文章芸術とは何か、ということをあらためて議論させるテーマとなりました。社会全体が「芸術家」に対する漠然とした憧れ意識をもっていた時代であり、芸術家が「偉くなっていた」ことも、受賞の一因でしょう。

たいした筋立てはないけれど、美に打たれる

ストーリーは、フランスやイタリアのエロティックな映画によくあるタイプの筋立てです。男と女がセックスの官能におぼれて、くっついたり離れたりするだけの話です。登場する男女はすぐに相手に惹かれて、簡単にセックスします。

性に対して開放的な人々の物語かとも思わせながら、最後には嫉妬で殺人が起こるというオチになります。やはり愛情にはセックス以外のものが伴うのかと考えさせられます。ストーリーの骨子は、1974年に世界的に爆発的ヒットしたフランス映画「エマニュエル夫人」と共通点があるともいえるでしょう。ただただ、エロスを追求した物語です。

本作の文学的な価値は、ストーリーではなくその美的感覚にあるのではないでしょうか。過去に例のない、美に対する独特のセンスを文章で表現し切っています。三島由紀夫ですらなしえなかったような、芸術美を文章美に変換する技をみせた小説と言えるのではないでしょうか。その点では、芥川賞を受賞するに値する特別な作品といえます。

映画はあまりヒットしませんでした

池田満寿夫本人が監督をつとめて、1979年に映画化されましたが、興行的には成功をおさめることはできませんでした。もともと、ストーリーには大した筋立てがないため、映像美だけで勝負する作品となってしまい、映画としての面白みには欠けています。ただ、世界的芸術家が監督しただけあって、美的芸術として鑑賞したときには、素晴らしい映画です。

池田満寿夫は村上龍さんとならんで、1970年代を彩った鮮烈な小説家です。あとにも先にもこれほどまでに美をうまく表現した作品はないと言えるでしょう。