小説は古代からの日本人の楽しみ

源氏物語や枕草子が書かれたのは10世紀の終わりごろ。源氏物語は世界最古の長編小説ともいわれています。それ以前から「竹取物語」などは存在しており、日本は世界的にも珍しい「小説の国」と言えるでしょう。

日本の文学を代表する古典的な名作のふたつが女性の手によるものであるということは、特筆すべきことです。もちろん、当時の男性は、このような「軽い」ものを書くような風潮がなかったでしょう。学のある男性は漢字を使った、かたい文章を書いていたはずです。

女性が確立した日本の小説ですが、その発端は天才文学者「紀貫之」です。

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男もすなるは、小説のはじまり

「男もすなる日記といふものを女もしてみむとてするなり」は、有名な紀貫之の「土佐日記」の書き出しです。通説では、紀貫之が女性のふりをして書いたことになっています。「男性が書く日記というものを女性である自分もはじめてみようと思って書くことにしました」という意味にとっての解釈です。

しかし、これには有力な異説があります。「紀貫之ほどの大文学者がそんなまぬけな『女性のふり』などするはずがない」という観点からです。現代で言えば、村上春樹さんが「ミドリ」などと女性のペンネームで小説を発表するようなもの。二流の作家ならいざ知らず、超一流の作家がそんなことをするはずがありません。

平安時代の文章には「濁点」がありませんでした。実は「が」「だ」のように濁点がちゃんとふられるようになったのは、20世紀の半ばからです。1945年の「終戦の詔書」にも濁点はふられていません。そのため、ともすると意味を取りちがえます。

紀貫之は、この「意味の取りちがえ」を逆手にとって、この文章に二重の意味を与えたという説があります。

紀貫之のマジック

「男もすなる…」の文章の一部に濁点をつけて、「男もず なる日記といふものを 女もじ てみむとてするなり」とします。「男もず」は「男文字」(漢字の意)、「女もじ」は「女文字」(ひらながの意)と読めるので、「漢字で書くべき日記をひらがなで書いてみることにする」という単純な意味になります。

紀貫之は文章を二つの意味に読ませるトリックを1000年以上前に発明していました。これも、世界最古の文章トリックと言えるでしょう。この魔法のような策に、多くの文学者が気づかずだまされてきました。秀逸なマジックです。

紀貫之のこの冒険的な文章により、女性が日記を書きはじめました。「女も短歌以外の文章を書いてもよい」ということになったわけです。それが発端で、日記文学がはやりだし、その延長線上に源氏物語や枕草子などの世界に誇れる文学が誕生したといえます。

南米では、まだ文字をもたない文明が活躍していた時代。西洋でも文章を楽しむという「たしなみ」がなかった時代から、日本人は文章を娯楽としてあつかってきました。その大切な伝統を次の世代にもつなげていくためにも、日本人はもっと小説を読むべきではないでしょうか。