松尾芭蕉がゲイだったなんて、やっぱり!?

俳句に詳しくない人でも、「古池や 蛙(かわず)とびこむ 水のおと」「閑(しずけ、しずか)さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」などの句を知らない人はいないでしょう。俳句と言えば、松尾芭蕉。ゲイであったことはあまり知られていません。俳句は「古池や…」や「閑さや…」のような「わびさび」を表現するのが普通で、色恋に関する句など存在しないと思われがちですけれど、実は芭蕉には「男性」に対する情熱を歌ったものがいくつもあります。

単なる遊びとしてアナルセックスを楽しんでいたのではなく、若い男を本気で好きになっていたようです。江戸時代には、男同士の性交や恋愛はよくあることでしたので、芭蕉自身には違和感はなかったのでしょうけれど、明治期以降の文学者たちの中には、「ゲイじゃなかった」と語気を荒らげて否定した人もいます。芭蕉を敬愛するあまりに、事実を直視できなかったのでしょう。

芭蕉が旅に出るときにはいつも男性が同伴していたのは、「男」が好きだったからです。愛する男性と旅をしつつ風流を発見し、俳句に歌い、夜は性生活を思いっきり楽しむという、実におおらかで豊かな人生を芭蕉は送っていました。旅は楽しくなければならない、という当たり前のことを実践していたのです。

一句、昔は男とやりまくったんだよね…!?

芭蕉が29才のときの句に「われも昔は、衆道好きのひが耳にや」というものがあります。現代の人にとっては意味が分かりにくい句ですが、「昔は男性とのセックスが好きだったなぁ」という意味です。「衆道」とは男色のことで、特に若い男性や少年との性交を指します。江戸時代までのわが国では、ゲイではない人も一種の性的楽しみとして男性と肛交を行う習慣がありました。ハンサムな若者の中には、十代半ばで年長のおじ様に目をつけられ優しくされて、アナルでの悦びを教え込まれることがありました。

「衆道好きのひが耳にや」とは、男性との性交が好きな変わり者だったなぁ、というような意味でしょう。29才の芭蕉が「昔」というのですから、恐らく十代のころから好きだったのです。芭蕉は19才のときに、21才の藤堂主計良忠に近習として召し抱えられましたが、遅くともこのときには経験していたと考えられます。良忠との主従の関係に男色があったとは断定できませんが、みっちりと「教え込まれた」可能性はあるでしょう。

野ざらし紀行はイケメンとの運命の出会いの旅だった!?

40才のときに、芭蕉は旅に出ました。前年に亡くなった母の墓参りをするために江戸から伊勢、伊賀上野方面へと向かったのです。このときの旅先での想いを書き綴ったのか「野ざらし紀行」。俳句を交えたエッセー集のようなものですが、後に「奥の細道」として完成される紀行文の原型となった名作です。

この旅の途中、名古屋で知り合ったのが坪井杜国という、芭蕉より一回りも年下のイケメンぼっちゃん。自身の催した句会に参加した杜国を一目見た瞬間に、芭蕉は激しい恋に落ちました。そして、彼との別れ際に作ったのが以下の句です。

『白芥子(しらげし)に羽もぐ蝶の形見かな』

白い芥子の花にとまっていた蝶は飛び立つのだけれど、その羽を1枚もぎとって形見に置いていきたいくらいに辛いんだよ、といった意味でしょう。芥子(けし)の花は杜国を、蝶は自らを表します。自分を蝶に例えてしまうところなど、まさに「ゲイ」っぽいと言えるでしょう。芭蕉らしくない、感傷的な句となってしまったのは、「恋する乙女心」のなせるわざなのかも知れません。

杜国は翌年、原因不明の病で亡くなります。芭蕉の生涯最高の恋は、とてもはかなく散りました。