庶民派の林芙美子は意外と男性遍歴が多かった!?

林芙美子の代表作の一つは「放浪記」。森光子さん主演の舞台が2000回以上上演されています。森光子さんは、長い下積みを経て作家として花開いた林芙美子の人生と、40才ころになってようやく女優として芽が出始めた自身の人生とを重ね合わせたそうです。

実父に認知されず、幼いころから苦労し続けた林芙美子の人生は、苦難の連続であり、経済的には恵まれず質素なものでした。ただ、セックス面では意外と奔放で、数多くの男性と性交渉を持っていたようです。

複雑な家庭に生まれ育ったことが、林芙美子の性生活に影響を与えた!?

林芙美子の実父は宮田麻太郎、母はキクという人でしたが、なぜか実父は芙美子を認知しなかったために、彼女はおじの戸籍に入り林姓を名乗りました。戸籍にははいらなかったものの、当初は麻太郎とキク、芙美子の三人で暮らしていました。しかし、彼女が7才の頃に、父・麻太郎が芸者と浮気をし、しかもその女性を家にいれて暮らし始めてしまいます。妻と愛人が同居する生活を始めたのです。一方、母・キクも夫の部下である沢井喜三郎と浮気をして三人で新たな生活をスタートします。新しい父親は、母よりも20才も若い、精力抜群の男でした。

こうした体験が、芙美子の恋愛観やセックス観に大きな影響を与えたのでしょう。彼女は19才になると、恋人を頼って上京し、婚約したふたりはセックス三昧の生活を送りますが、翌年には恋人に捨てられてしまいます。そして、その後は、次々と男性遍歴を重ねます。男と見るやすぐに同棲し、しばらくすると捨てられてしまいます。それでも男を追い求めた彼女は、2年ほどの間に少なくとも5~6人のセックスフレンドと付き合っていたようです。父親に見捨てられた経験が、男を追わずにいられない性格を育てたのかも知れません。

23才になるとようやくお落ち着き、画学生の手塚緑敏(まさはる)と結婚して、安定した性生活を送るようになりました。

性生活は安定したものの、性格的には乱暴な面もあった!?

幼いころから人に裏切られることに慣れてしまった芙美子は、かなりきつい女性だったようです。作品の中では、「矢でも鉄砲でも飛んで来い。胸くその悪い男や女の前に、芙美子さんのはらわたを見せてやりたい」と書いていますが、彼女のストレートな感情を表しているでしょう。日常生活の中では、周囲の人に暴言を吐いたり迷惑をかけたりすることは、しばしばあったようです。

作品では数多くのファンを惹きつけましたが、友人や近所の人たちの評判は必ずしも良くはありませんでした。47才で人気絶頂のときに、心臓まひで亡くなりましたが、葬儀委員長の川端康成は、「故人は、他に対して時にはひどいこともしたのでありますが、あと2、3時間もすれば灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか許してもらいたいと思います」と述べたとされています。

林芙美子の苦労つづきの人生は、奔放なセックスと、ごうまんな一面をもっていたようです。