とにかく女にだらしない男だった太宰治

太宰治は、悲劇的な作家として扱われることの多い人ではないでしょうか。悲観的な発言の数々や、39才のときに女性と玉川上水で入水自殺したことからそんなイメージが付きまといます。ただ、もともと裕福な家庭に生まれ育ち、容貌的にもモテる方で、かなり人生を楽しんだ人でもあったようです。

お金持ちに生まれたことにコンプレックスを持っていた!?

太宰治の生家は青森の大地主でした。父親は、県会議員や衆議院議員、貴族議員などもつとめています。地元では「殿様」とも呼ばれ、「お坊ちゃま」として育てられました。子どもの頃から成績はよく、端正な顔立ちもしていたために、女子からもモテモテの青年だったようです。大正時代から昭和にかけて流行したプロレタリア文学の影響を受け、自らが金持ちであることにコンプレックスを持ち、それが生涯にわたって悲観・悲壮の思想につながったと考えられます。貧しい人々に同情する気持ちが強いゆえに、自らが金持ちであることに罪悪感を抱いたのです。

しかし一方で、金持ちであることに甘んじて生きていたりもしています。高校時代の成績はあまり良い方とは言えませんでしたが、裕福でそこそこ勉強ができる人であれば入学できるという理由から、東大の仏文科に入学しました。当時は東大といえども、「文学」などを選ぶのはあまり成績の良くない人が多く、高校で76名中46番の成績しかとれなかった太宰でも入学できたのです。

しかし、フランス文学の素養はまったくなく、フランス語もまったく勉強したことがなかったのに仏文科に入学したため、あっという間に授業について行けなくなります。ほとんど講義に出ることもなく、成績不振により放校となってしまいました。こうした「甘ちゃん」的性格は生涯なおることはありませんでした。

イヤになるとすぐに自殺をしてしまうという、甘えん坊

大学時代には、実家から送られる大金によってぜいたく三昧の生活をしつつ、セックスにも溺れます。金持ちを憎み共産主義に傾倒しながらも、豊かな暮らしを満喫し、人妻との不倫セックスにふけりました。そんな自分に嫌気が差すと、セックスフレンドと自殺をはかるということを太宰は何度も繰り返します。最初に心中を図ったのは、カフェで出会った人妻のシメ子。鎌倉の海で自殺しようとしましたが、シメ子だけが死に太宰は生き残ります。

その後、芥川賞の選考に漏れるとまたもや自殺。翌年には、内縁の妻と薬物自殺をはかりました。その女性を捨てた2年後には別の女性と結婚。数年後には愛人を作り、その女性と玉川で入水自殺をはかり、そのときには本当に亡くなってしまいました。最後の自殺の際には、死ぬことを怖がり生き残ろうとする太宰の頭を愛人の山崎富栄が水に沈めて、自殺が失敗しないようにしたという説もあります。もしかすると、太宰の数度の「自殺」はいずれも「狂言」にすぎなかったのかも知れません。

悲劇的なヒーローとして扱われることもある太宰治ですが、女性にはかなりだらしのないいい加減な面もあったようです。そんな自分に対しての不満を小説の中で発散させていたのかも知れません。