妻との性生活を赤裸々につづった徳冨蘆花

特に京王線沿線に暮らす人たちにとってよく知られた駅、芦花公園(ろかこうえん)。ここには、「蘆花恒春園(ろかこうしゅんえん)」という名称の都立公園があります。東京都世田谷区粕谷にあり、公園内には、明治後期から大正時代にかけて活躍した文豪、徳冨蘆花(とくとみろか)の旧宅もあります。そこからも分かる通り、ここはかつて蘆花の自宅の敷地で、妻であった愛子によって、蘆花の死後に寄贈され公園化されました。

2万坪もある広大な敷地であり、現代であれば百億円を超える価値のある資産です。これをポンッと寄付してしまう愛子夫人とはどんな人であったのかと興味をかきたてられる人は少なくないでしょう。蘆花の美しい文体を読んだことのある人であれば、その妻も、美しく清楚で、性欲など持ち合わせないようなウブな女性を想像するかも知れません。

愛子は熊本県の出身で、師範学校を卒業して英語教師をしていました。自身も作家として作品を残していますし、蘆花と共著したものもあります。20才で蘆花と結婚し、2人は生涯にわたりおしどり夫婦であったと言われていますが、その夫婦仲の良さの秘訣が激しいセックスでした。夜な夜なふたりは互いの性欲をぶつけ合い情熱的に性交していたのです。その様子を蘆花はつぶさに日記に書き残しましたが、蘆花の死後、愛子夫人はその赤裸々な中身を一切隠さず公開することにしたのです。性生活も含めて蘆花の人となりを分かってもらいたかったのかも知れません。

蘆花も愛子夫人もバックが好きだった!?

愛子夫人にとって蘆花は初めての男性で、処女で結婚しました。初めての夜から感じてしまったらしく、26才の性欲旺盛な男の欲望に応え、20才の新妻は毎晩励みました。蘆花は日記に、「下腹接触から馬乗りになる。大分快活だ。細君、"元気!大きい"と喜ぶ」と、妻の喜びようを記しました。「馬乗り」とは馬にまたがるように上に乗ることですから、バックスタイルのことなのかも知れませんし、夫人が上に乗ることだったかも知れません。

「Madamの陰毛を撫でていると、とうとう欲を発し、後ろから犯す。精液どろどろ。快感」という日もあり、ここでの最後はバック。「どろどろ」の表現から「中だし」であったこともうかがわれます。ヴァギナから溢れ出る精液の様子まで楽しんでいます。「はだかになり、馬乗りになり、Mの足をあげ、快快的交合」と、色んな体位を試していたこともうかがえます。夫人の方は、あらゆる行為を喜んで受け入れており、蘆花とはセックスの相性がバツグンに良かったのでしょう。

中年の悩みは今も昔も勃起不全!?

結婚以来、毎晩妻との性生活を楽しんできた蘆花ですが、さすがに40代になると精力の衰えを気にし始めます。49才のときの日記には、「早暁交合。中頃精力衰え、勃起しないので、中止」と残しています。起き抜けに朝立ちを利用して挿入したものの、ピストン運動している最中にしぼんでしまい、あえなく中断してしまったのです。

今でいえばEDになっていたのでしょう。こうした精力の衰えをどうカバーしたのかは分かりませんが、この時代にバイアグラがあれば、蘆花はさらに元気に活躍できたことでしょう。

繊細な文体の小説家と清楚な妻は、毎晩激しく愛し合っていました。蘆花は幼少期にアナルセックスも経験しています。十代の初めには年上の男性の愛人として、毎晩犯されていたとも記しています。若くして、性に囚われた生活をしていたのです。