指の間から落ちる砂をみながら、女郎屋通いをつづけた啄木

石川啄木といえば、「貧乏」を思い出させる歌人です。「いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ」「はたらけど はたらけどなほ わが生活(くらし) 楽にならざり ぢつと手を見る」など、幸せのはかなさや貧しさを歌った短歌がよく知られています。たしかに、啄木の人生は悲劇的だったと言えるかもしれません。自らも妻も肺病をわずらい、若くして亡くなってしまいました。

しかし、啄木の生活をつぶさに調べてみると、意外と収入が多かったことが分かります。普通のサラリーマンよりもやや高い収入を得て、女郎屋にもひんぱんに通って散財もしています。もともと、子どもの頃から女好きの遊び人で、かなりの不良だった啄木は、収入以上の暮らしをしていたのです。

裕福な家庭に生まれ育ったお坊ちゃんの裕福少年だった!?

啄木が生まれたのは石川県にあったお寺の住職の家庭。当時、お坊さんといえば知的階級であり、村中から尊敬を集める仕事です。収入も一般の家庭よりもかなり多く、豊かな生活をしているのが普通です。啄木は、子どもの頃から何不自由なく甘やかされて育ち、それがゆえに、わがままで自分を律することのできない性格になってしまったようです。生まれつき頭の回転が速く容貌にもめぐまれていたため、小学生時代からモテモテの少年で、中学に入るころにはすっかり女遊びにうつつをぬかすようになっていました。

小学生のころには神童とさえ呼ばれた啄木も中学にはいると、女の子の体にばかり関心をもつようになり、勉強はまったくできなくなります。少女たちとの性行為に夢中になるあまりテスト勉強ができず、カンニングをして退学処分となってしまいました。そのころ付き合っていた女の子の一人・節子と後に結婚をしますが、中絶させた責任をとるためだったとも言われています。

セックスをしないではいられない男だった!?

中学を追い出されると、一旗揚げるために啄木は上京しますが、まったく相手にされません。地元に帰り、節子と結婚することになりますが、彼は無理やりの結婚を嫌がり結婚式をすっぽかしてしまいました。その後、実家に妻子を残したまま再び上京し、朝日新聞に就職します。サラリーマンとしての収入に加え、短歌や評論の原稿料も入っていたため、年収としては当時の普通家庭の倍程度の収入を得ていました。

啄木は妻と別居していたことから性的な欲求不満を抱えており、お金に余裕ができると、女郎屋にしょっちゅう通うようになります。売春婦を相手にさんざんわいせつな遊びをしていたことをきちんと日記に残していますが、女性器にげんこつを入れたというような記述もあり、とても、「はたらけどはたらけど…」と苦しんでいる人の日常とは思えません。

啄木の「貧乏」は収入がなかったからではなく、支出が多かったことによるものでした。女郎屋通いで散財した挙句に、お金がなくなって「貧乏」を嘆いたというのが、実情だったのです。