セックスを武器に男を奪い取った与謝野晶子

与謝野晶子は、師であった与謝野鉄幹を妻から奪い取りました。晶子の魅力は、彼女の作った短歌そのものの力だけではなく、奔放な生き方にもあったとされています。妻ある年上の男性を性的魅力でほんろうし狂わせて、自分のものにしながら、それを恥じることなく、堂々と歌に込めた強さが、明治時代の女性としてはとても珍しいことでした。一般的には、節度ある紳士の鉄幹を晶子が激しい情熱と猛烈なアタックで落としたと思われていますが、実際に鉄幹を虜にしたのは、晶子のセックステクニックがすごかったからだとも言われています。

与謝野鉄幹は次々と若い女性の処女を奪い取る名うてのプレイボーイ

鉄幹は歌人として成功する前には高校の教師をしていました。まじめで熱心な指導をする一方で、女生徒たちには、セックスの指導も熱心に行っていたようです。彼が山口県の徳山女学校に国語の教師として採用されたときには、まだ19才。女学生たちとはほとんど年齢差はありません。性に興味津々の女の子たちの中に、若くて二枚目の男性教師が入ってきたのですから、あっというまに人気者になります。

まともな教師であれば、生徒に手を出すことなどありませんが、鉄幹は根っからの女好き。すぐに教え子に手をつけてしまいます。まだ処女の女の子たちばかりでしたが、鉄幹に目をつけられるとあっというまにバージンを失い、おまけに中には妊娠までさせられる子もいました。教え子の一人浅田信子は妊娠、出産して、鉄幹の最初の妻となります。ただ、愛情がゆえに結婚したのではなく、妊娠の責任をとっただけ。生まれた子どもがすぐに亡くなると、鉄幹は女学校時代に関係を持っていた別の生徒と同棲を始めてしまいます。彼にとって女性はセックスの相手でしかなかったのです。

セックスの相性が抜群だった晶子と鉄幹

そんな女好きの与謝野鉄幹の前に現れたのが、新進気鋭の歌人晶子でした。鉄幹は、二番目の妻であり女学校時代に処女を奪った教え子でもある林滝野と結婚していましたが、晶子の魅力のとりこになってしまいます。何人もの若い女性たちを食い物にしてきた鉄幹ですら、晶子のテクニックには舌を巻きました。結局、彼は妻を捨てて晶子と結婚しますが、その後は浮気をすることはなかったようです。晶子との性生活は充実しており、他でするほどの精力は残っていなかったのでしょう。

毎晩のセックスで、晶子は十数回も妊娠します。12人の子どもをもうけ、大家族ができました。雑誌のインタビューで夫婦生活について聞かれた鉄幹は、「晶子の膣に一晩入れておいたバナナを食べたりする」と答えており、ふたりで性を楽しむ生活をしていたようです。鉄幹はかなりの性豪だったようで、普通ならバイアグラのお世話にならなければならない50代になっても、性生活はひんぱんだったようです。性生活の充実が晶子の創作のエネルギーになったのでしょう。夫の下半身が元気だと妻はよく働くということなのでしょうから、妻に対する不満を解消するには、われわれ現代に生きる男性も、ED薬のお世話になってでも自分の下半身の力を取り戻すのが近道なのかもしれません。

こうした豊かなセックスライフを背景に、晶子は次々と激しい歌を作りつづけ人気歌人となっていきます。一方で、晶子に精力のすべてを吸い取られた鉄幹は、歌人としての人気は衰えてしまいました。彼女は、セックス上手な妻としては最高だったものの、夫を立てることには成功しなかったのかも知れません。